医院ブログ

2019.08.03更新

第97回 日本消化器内視鏡学会総会に出席して

 同会に出席させていただき、特に今回関心を集めた内容に関して報告させて頂くとともに、その内容に関しての私見を述べさせていただきます。

 数年前より、医療分野においても、いわゆる『AI(人工知能)』の導入が話題を集めております。それに先んじて、外科領域でのロボット手術は特定機能病院といわれる大学病院などのみならず、地域の中核病院にもここ数年で急速に普及していることは、各メディアからの情報の通りと思います。ただし、術者(=ロボットのオペレーター)は、あくまで生身の熟練医であり、ロボットはあくまで、手術のツールの一つに過ぎないということでした。
 しかしながら、複数の熟練医の知識、技術、様々な経験値のビックテータを集積/統合し、AIがロボットと一体化して手術を完遂するという時代が、もう近い将来に実現できるであろうということを、現役の某大学病院の消化器外科主任教授の講演で聞き及びました。日本の消化器外科分野を牽引されているご本人が、『我々の力は、10年とまでいかないこの先数年以内に、AIに手術の術者の仕事を奪われるであろうことは、ほぼ間違いない』というセリフは、内科医であるこの身にとっても十分に衝撃的でした。
 我々が携わる消化器内視鏡の世界でも、AIがポリープやがんの診断を行う臨床試験は2010年台に入り行われておりましたが、今年の初旬には保険収載(保険診療が認可)されました。今回の学会において、その開発と臨床試験を実施された施設からの発表があり、非常に興味深く聞き入りました。
 その概略は以下の通りです。
① 現在、このAI診断が可能な内視鏡検査は、大腸疾患のみである。
② ポリープであれば、腫瘍(腺腫、又は大腸がん)vs非腫瘍であるかの区別までが可能。また、潰瘍性大腸炎などの炎症性疾患では、粘膜の炎症が活発(活動性)vs鎮静化している(非活動性)なのかが、診断可能。
③ 正確性も高く、非常に優秀であるようです。診断の過程をもう少し詳しく説明しますと、従来の通常観察の画像で上記のような診断をAIが行うのではなく、超拡大内視鏡といって、光学的拡大で500倍以上(従来の拡大観察は100倍程度)という、顕微鏡レベルの拡大観察を生体のまま行い、その画像をAIが瞬時に診断するという画期的な診断ツールです。

 AIの診断力もスゴイのですが、昨年発売された超拡大スコープです。従来、内視鏡で病変が疑われた際は、生検(biopsy)と称して組織採取し、永久標本を作製し、病理医に診断をゆだねております。それが、組織採取せず、生体のまま、顕微鏡レベルの拡大観察を行い、病理医の診断を経ず、内視鏡観察のみで最終診断を行うというものです。組織採取しないことにより出血もなく、循環器疾患などにより血をサラサラにするお薬を飲まれている方でも出血の危険もありません。一連の手順としては、内視鏡の挿入や操作は従来通り、検査医が行い、病変を見つけた際には、その部分に近接した後に拡大していき、最大倍率で細胞レベルの像を得れば、AIボタンを押す。すると、1秒前後でAIが診断を行ってくれるというものです。
 ただ、長所ばかりではなく、短所としては、上記のごとく、まずは大腸疾患にのみ適応されているということ、腫瘍vs非腫瘍、(炎症の)活動期vs非活動期といった、まだ比較的単純な診断にととどまること、機器のコストが相当かかる、といったことが挙げられます。
 では、今後AI搭載内視鏡がさらに普及し、更なる進歩を遂げ、ほぼほぼ内視鏡医にとって代わる時代が来たと仮定したとき、それが本当に検査の被検者の皆さん(患者さん)にとって、プラスになることばかりかと考えると、甚だ疑問です。AI内視鏡は複数の熟練医の経験に基づいた知識と技術を統合したものではあるけれども、常に新しい情報や技術は、日々内視鏡診療を継続する現場医師の鋭い着眼から発見されたり、試行錯誤の結果として生み出された診断学及び治療法に結実しているものです。
一例を申し上げると、早期胃がんで現在全国の多数の病院で実施されている、内視鏡的年下層剥離術(ESD)は20年以上前に国立がんセンター中央病院(現在の国立がん研究センター中央病院)を中心として、全国で数施設しか行われていませんでしたが、内視鏡医への教育システムや器具の開発が急速に進み、この日本発の治療はこの20年で国内では食道、大腸も含めて標準治療となり、瞬く間に全世界に普及していきました。
このような医療の創造性や発展性というものを、‘こころを持たない’彼ら(AI)に期待することは、おそらく不可能です。
また、被検者の内視鏡を受けることのつらさや苦痛を減らそうとしてくれるでしょうか? 検査結果の説明を被検者の背景(仕事、家族)や本人の精神状態などまで考慮しておこなうことをもとめるのは、‘酷’ですよね。
 
そう考えていくと、医療全体に通じることかもしれませんが、人の体(心も)に寄り添うことができるのはやはり、生身の人間でしかないのでは、と思ってしまいます。だから、機械やAIというのは、あくまで便利なツール(道具)として利用するにとどめ、主-従の関係は変わらないのではないか、と思う今日この頃です。出来損ないの‘生身’
のひがみなのでしょうか。

 

投稿者: 内科・消化器内科 杉本クリニック